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学生時代から取り組んできたトランペットで、地域を元気にしようと演奏活動を続けている若手音楽家がいます。「演奏会をきっかけにチェコの文化やクラッシック音楽を身近に感じてもらいたい」と話しています。

扇田 泰子さん

プラハにて演奏

レジェク・シャバカ氏と共に
大館市出身で、現在は美郷町を拠点に活躍している、フリーのトランペッター・扇田泰子さんにお話をうかがいました。扇田さんは、大館鳳鳴高校を卒業した後、チェコ共和国に単身で音楽留学し、帰国後は東京・関東地方を中心に演奏活動を行っていました。2016年に、結婚を機に秋田に戻り、現在は音楽の力で地域の方々を元気にするための活動を精力的にこなしています。2017年2月には、横手市でチェコ時代から親睦のあるピアノ奏者とコンサートを行いました。なお、扇田さんは、旧姓の田中でトランペット奏者として活動しています。
トランペット(音楽)との出会いについて教えてください。
小学校3年生の冬、スクールバンド部で出会ったのがきっかけです。たまたま割り当てられたのがトランペットという楽器で、特にこだわりはありませんでした。その後中学の吹奏楽部では木管楽器を始めたかったのですが、経験者であるという理由でトランペットを充てられ、当時非常に残念に思ったのを覚えています。
中学校の頃は本当に下手で、自分がトランペットを一生の仕事にするなんて夢にも思わず、音楽はもともと持っている才能と環境がそろっている人だけが専門にできるものだと思っていました。
高校へ入学し、難しいパートを与えられた際に、「これは死ぬ気でやらないといけない」と思い、自分なりにコツコツ練習をはじめたところ、なんとそれまでできなかったことができるようになりました。できないことを何とかできるようにしようと研究することも楽しく思えるようになり、これといって進路を確定できずにいた私は「これなら、どんなに辛くても一生付き合っていける」と思いました。
チェコへの留学は、偶然知り合った方との出会いがきっかけであったとうかがいましたが、不安などはありませんでしたか。(言葉などの問題をどのようにして乗り越えたのかなど)
母の知人にチェコへ行き来していた方がいて、その方の友人がたまたま大館に来る機会があり、その方のお宅にホームステイを約束したことだけを頼りにチェコへ渡ったのですが、(もちろん学校なども決まっていませんでした。)当時、「不安」という言葉は私の中にまったくありませんでした。言い換えると、何も考えていませんでした(苦笑)
金銭面からも、日本の音大などへの入学は無理に等しかった中、チェコへの留学を私に提案したのは母でした。「あなたがプロの演奏者になれるとは思わないけれどやりたいことはやってほしい。どうせならば音楽以外のものや人生自体も学べる場所に行ってほしい。たとえ挫折しても、自分でほかにやりたいことや大切なものを見つけてきなさい。」と送り出そうとする母に「言葉はどうしたらいいと思う?」とたずねたところ、「宇宙人のいるところに行くわけではないでしょう。うちの犬すら日本語を理解しているのだから、あなたはそれより少しは賢いと思う」と言われ、「そうか」と思ったことを今でも覚えています。(この、母親の適度な無責任さには今でも感謝しています。)
現地でのチェコ語習得は確かに容易ではありませんでしたが、あきらめず継続すること、学校やテキストに頼ってばかりではなく自分なりに自分に合った学び方を見つけること、そのために自分で環境をつくっていくこと、などの大切さを実感し、とても充実した毎日で楽しかったです。
チェコの文化や音楽に初めてふれたときは、どんな感覚を抱かれましたか。(チェコの音楽の魅力など)
管弦楽というものをチェコに行くまで聞いたことがなかったので、初めてチェコフィルを聴いた時にまず弦楽器の響きに感動したしたことを覚えています。それから実際オーケストラ内で一緒に演奏して思ったのですが、演奏者一人一人がとても自由に生き生きと、個性にあふれて演奏をしています。もちろん、そのオーケストラごとのカラーもありますし、曲によって表情を変えなければならないので奏者は周りに合わせなければいけないのですが、その中でもそれぞれの音や表現に個性があり、聞いていても、自分が一緒に演奏しても本当に楽しかったです。
そしてチェコ(に限らずヨーロッパ)は人間と芸術の距離が非常に近いと感じました。毎日町中の様々なところで様々な種類の公演や演奏会が開かれています。プラハの旧市街は町並みそのものが芸術で、美しい歴史的建造物が政府機関の建物であったりするのがあたりまえで、とても不思議な感じがしました。
これまでの演奏経験について教えてください。(プロフィール的なことの他、一番印象に残っているステージなど)
プラハ音楽院、プラハ芸術アカデミーで学生をしながらフリーランスのトランペッターとして、チェコ国内のオーケストラに賛助出演、ソロ演奏、室内楽など、さまざまな場所で様々な形式の演奏活動をしました。有難いことにオーケストラ伴奏で、ソリストとしてのコンチェルト演奏も何度かさせていただくことができ、本当に貴重な経験だったと思います。
室内楽では在チェコ日本人のピアニストとチェリストでトリオを組みチェコ国内をまわり、演奏だけでなく、日本についてトークしたり、浴衣を着て演奏するなどもしていました。
チェコではクラシック音楽が非常に身近で、どんなに田舎に行ってもコンサートへ訪れる方々がたくさんいて、全身全霊で音楽を聴いてくれます。おじいさんおばあさん、子供たちも純粋に音楽を聴いてくれていて、そんなお客さんたちからたくさんのエネルギーをもらいました。チェコにいる間、音楽のことなどで悩む日々もありましたが、笑顔で迎えてくれるチェコの人々がいたから続けてこられたと思っています。
今回、横手で演奏会を開催されていかがでしたか。
開催にあたり、やはりこの県南の地が自分のこれから生きる場所になるということで、この地でのトランペット奏者のスタートを切ったという意味もありました。また、自分が演奏するだけではなく、このせっかくの機会に私にしかできないことをしたいと思いました。ただトランペットを吹くだけではなく、11年間のチェコ生活の中で得た人々のつながりを秋田までもってきて更に広げていきたい、そんな思いで、来日予定であったピアニスト、ルジェク・シャバカ氏にお声がけしました。
初めて県南での演奏会開催でとても緊張し、不安も多かったのですが、シャバカ氏やお客様には大変喜んでもらうことができたと思います。たくさんの人々に支えられ、またご来場いただき、何とか成功裡に終えられたと思います。
出身の大館でも高校時代の仲間のみなさんと演奏活動をされているとうかがいましたが。
現在も音楽活動を続ける大館鳳鳴高校の卒業生と「鳳鳴響友会(代表・平泉奏)」というグループを組み、1年に1度ほどのペースで、大館市で音楽会を開催しております。音楽を専門に学ぶため故郷をはなれ、それぞれが様々な場所で活動を続ける中、故郷に音楽を持ち帰らずにはいられない、という思いで発足しました。
外で学び、生きたからには、私たちにはそこで得たものを故郷の方々にシェアする義務があると思っています。この活動を見て、ほかの若者たちも違った分野で故郷を刺激してくれたらな、と思います。
今後の目標について教えてください。
日本、そして特に秋田県ではクラシック音楽はまだまだ人々と遠いところに位置するものだなと思います。クラシック音楽はなにやら難しいものだとか、敷居が高い、知識がないと聞けないと思われがちな印象を受けます。そういった、人々と音楽(とくにクラシック)の間に隔たる壁をこわし、少しでも皆さんが単純に、日常的に、まるで毎日お茶を飲むような感覚で音楽を身近なものに感じ、楽しめるよう、趣向を凝らした演奏会などを企画していきたいと思います。
また、せっかくのチェコでの経験や人とのつながりを無駄にせぬよう、チェコの音楽家などを積極的に呼び寄せ、公演を開催したり、地域の人々とコラボさせたりして、皆さんが世界をより近く感じられるきっかけになればよいなと思っています。