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行動人 -知と行動が結びついたクリエイティブな循環型社会-

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このWebサイトでは、身近な「行動人」を通して、秋田の元気を見えるようにしていきます。学んだことを生かして行動している人を、直接取材のほか、新聞や広報誌、市町村や県民からの情報提供をもとに紹介しています。

こんな行動がありました。

2017-02-17

秋田市

2017-02-15

秋田市 週刊アキタ 第1,915号 2016-12-09

2017-02-10

横手市

2017-02-08

秋田市

2017-02-03

秋田市 週刊アキタ 第1,921号 2017-01-20

2017-02-01

県外 大仙市 広報だいせん「だいせん日和」vol.278 2016-11-01

2017-01-27

秋田市

2017-01-25

潟上市

2017-01-18

秋田市

2017-01-13

能代市

正岡子規門下の俳界の巨星石井露月が逝去した翌年の昭和4年以来、顕彰事業を80年以上にわたって集落単位で代々続け、かつ資料の整理や刊行に取り組んでいる人たちがいます。

正岡子規門下の俳界の巨星石井露月が逝去した翌年の昭和4年以来、顕彰事業を80年以上にわたって集落単位で代々続け、かつ資料の整理や刊行に取り組んでいる人たちがいます。
[01763]

露月会のみなさん

露月会

県央 / 秋田市 / 文化/スポーツ/交流
露月先生之碑を清掃

露月先生之碑を清掃

「石井露月日記原本電子化集」

「石井露月日記原本電子化集」

露月会の会長を務める京極雅幸さんにお話を伺いました。

 

>活動を始めたきっかけを教えて下さい。

 

本会は、石井露月先生逝去の翌年に発足し、以来86年が経過しました。発足は、昭和4年9月18日、つまり露月先生一周忌の日であったという記録があります。以来、先人たちはさまざまな顕彰事業に継続して取り組み、露月先生の遺徳を伝えてきました。

 

>現在の活動を教えて下さい。

 

恒例の行事は、 露月忌句会(米女鬼吟社主催)、 露月忌追善法要、 山盧・墓地・鷹の公園頌徳碑・里宮境内句碑等の施設清掃、 学習会などがあります。

 

これまでに露月会が取り組んだ主な事業は、 露月会館建設と同時に米女鬼文庫建設(昭和16年)、句碑「花野ゆく耳にきのふの峡の声」建立(昭和35年・33回忌)、句碑「秋立つか雲の音聞け山の上」建立(昭和52年・50回忌)、句碑「つゆ涼し夜と別るゝ花の様」(平成14年建立)、米女鬼文庫改築(平成14年9月)、 露月生誕140年記念『露月宛書簡集〔Ⅰ〕』刊行(平成24年)、『石井露月日記原本電子化集(DVD)』(平成27年・28年)などです。 今後、露月宛書簡・はがき集の刊行などを予定しています。ご遺族のご理解を得て、露月山廬に残された資料・文献の内容や価値を明らかにし、郷土が生んだ偉人露月を再認識することによって、私たち自身の誇りや郷土愛をより一層強くすることができるに違いありません。そして、明治大正の時代、秋田の片田舎女米木が、石井露月という存在により、文化の一大拠点であったことを子どもたちに伝えていく使命もあります。

 

露月先生は、『俳星』をはじめとする俳誌を通じて、俳句界のリーダーとして活躍したのは改めていうまでもありません。戸米川あるいは女米木にとっても、生涯を医師や議員として村民の生活の向上、村政の刷新、青少年の教育などに力を尽してくださいました。たとえば、医師としては、日常的な医療活動のほか、旧戸米川村の村医として、旧戸米川・種平小学校の校医として、地域医療に貢献しました。青少年の教育の点では、夜学校の開設・運営に当ったほか、明治41年9月、青年団長に推挙され、大正12年8月に辞任するまで在任、その間河辺郡連合青年団長にも推挙され、郡内の青年団体の指導にも当っています。また、村議会議員でもあり、大正14年4月4日、女米木小学校と相川小学校の合併に当り、推進派として地域の教育の質的な向上を図りました。これまで本会が発行してきた『露月宛書簡集〔Ⅰ〕』や『石井露月日記原本電子化集(DVD)』などを通じ、先生の生涯を知り、顕彰事業や研究が今後一層進展することを期待しています。

 

>これからの活動について教えて下さい。

 

昭和4年、発足当時の会則は「第一条 本会ハ露月会ト称シ露月先生ノ高風ヲ追慕シ威徳ヲ伝フルヲ以テ目的トス」とあり、追慕伝承を目的とするとあります。しかし、今日の会則は、露月先生の「遺徳(後世に残る恩徳)を顕彰(功績や善行などをたたえて広く世間に知らしめること)しその高風(すぐれた人柄やけだかい風采)を伝え、以て文化の発展と資質向上を図るを目的とする」となっています。顕彰伝承をとおした地域文化の発展と住民の資質能力の向上が目的であると改訂されました。露月先生が示された文化芸術に親しむ心、青少年の教育に努める姿勢、殖産興業の志を忘れず、日々の生活に勤しみたいものであると思います。

 

 今や露月先生の評価は高まり、女米木の露月は秋田の露月となりました。しかし、原点としての女米木は更に重要さを増していくでしょう。露月会は、露月先生が残した文化財、愛した山河を後世に伝えるため、力を尽したいと思っています。

 

 


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