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自らの元気回復のために始めた股旅舞踊を生かし、地域の人たちに教え、座長としても各地の高齢者施設等で慰問公演を行い、股旅舞踊全国大会の審査員を務めるなど積極的に活動している人がいます。

佐藤 エツ子さん

稽古の様子

公演ポスターと数々の賞状
嶋崎江美香の芸名で嶋崎流の股旅舞踊の家元をされている湯沢市三梨町在住の佐藤エツ子さんにお話を伺いました。
>活動を始めたきっかけを教えて下さい。
私の舞踊は、股旅物(「瞼の母」の番場忠太郎など、渡世人の義理人情を描いた話)を題材にして、三度笠(菅笠の一種で顔を深く覆うもの)と合羽(江戸時代に雨天時に用いた外套)姿で演じるものです。子どもの頃、町に股旅芝居の一座が興業にやってきたのを見て、「格好良いな」と思っていました。
現在の股旅舞踊を始める直接のきっかけは、20数年前に患っていた病気でした。病気で引き籠もっていた苦しい時期、私の様子を見ていた夫が「自分の好きなこと、踊りをやってみれば気も晴れるよ」と勧めてくれたのです。昔好きだった股旅舞踊を思いきりやったことで、私はどんどん回復し立ち直っていきました。
平成4年から10年にかけて師匠に付いて本格的に舞踊を習い、11年には遠野市で開かれた股旅舞踊全国大会で優勝しました。さらに15年には股旅演歌舞踊全国大会で優勝し、NHKの「秋田この人」にも出演し自信を得ることができました。
>現在の活動を教えて下さい。
江美香の名前で嶋崎流股旅舞踊の家元として、地元三梨で男女数名の方をお弟子にとり教えています。高齢者施設などで慰問公演する時には、お弟子さん方を座員とし、私が座長になります。小さいながらも嶋崎一座ののぼりも作りました。女性のお弟子さんは、剣劇の時には男役をこなすこともあります。座員の人数が少ないので、このような形になりました。そのうち、男性のお弟子さんにも女形をやってもらいたいなと思っていますがまだ実現していません。
公演の時には夫がトラックを運転し、娘が公演をこまごまと手伝ってくれます。夫はそのほか音響効果などを担当し、舞台の場をつなぐ必要がある時にはお客さんの前に立って歌を披露してくれます。また娘は、病気で苦しかった頃の姿を見ていますので、股旅舞踊に生きがいを見いだし全国大会の審査員としても頑張っている私を応援し手伝ってくれます。時には、一緒に舞台に立って踊ることもあります。娘も元々は股旅物が好きで、小学校3年生から中学校に入った頃まで股旅舞踊をやっていました。いったんは離れましたが、高校時代の後半から再び股旅舞踊を始めました。
さて、高齢者施設などで股旅舞踊をやると、皆さんが懐かしさに目を輝かせて熱心に見てくれます。昔、町々や村々に旅役者の一座がやってきて、「瞼の母」や「国定忠治」などの股旅物のお芝居をやったのを見た思い出がよみがえってくるのでしょう。また、股旅舞踊の立ち回りには、見てスカッとする格好の良さがあります。施設の夏祭り、敬老会、クリスマスなどの際、その場に合った演し物を持って行き訪問するので好評です。
>これからの活動について教えて下さい。
大きな目標として、岩手県や青森県では子ども股旅舞踊が盛んですので、秋田県内にもぜひ広めたいと思います。当面の目標は、平成30年に秋田県で開催されるNPO東北座長大会に参加し、会場である湯沢市文化会館の舞台を踏むことです。
また、娘に私の後を受け継いでもらい、股旅舞踊の活動を続けていくことが願いです。